反出生主義には反論しづらいので、あえて主観や感情論だけで感想を述べる
どうも、書い人です。
心のどこかで毎日のように反出生主義について引っかかりのようなものがあるのを感じ、今回この記事を書くことになりました。
前回の記事についてはこちら、『【きつねこブログ】反出生主義についての感想など』を参考にしてください。
記事タイトル通り、反論ではなく感想です。
ああ、反論しなくてもいいんだな、と思うと気が楽になりました。
理屈でなく個人の感想ですので、反出生主義ガチ勢の方は鼻で笑ってやってください。
ちなみに、前にバズったときの最高アクセスの半分くらいは毎日のようにアクセスが入るようになり、ブログの成長を実感しております。
以下、本題です。
- ○単なる努力不足で甘えている能力不足の人の言い訳では?
- ○少しでも苦痛がある人生の絶対拒否
- ○『恩義』の発想がなさすぎる
- ○苦痛ばかりしかないという思い込み
- ○ファッション反出生主義
- ○普通に幸せですがなにか?
○単なる努力不足で甘えている能力不足の人の言い訳では?
はい、自分が嫌いな反出生主義者のタイプ(全ての反出生主義者を嫌っているわけではありませんし、嫌いなタイプでも、その人間性の全てが嫌いなわけではありません)の、一番の理由がこの辺です。
反出生主義の裏にあるのはなにか、それは大体が怠惰な甘えである。
そのくせ、自分はこの世から苦しみをなくそうとしているいわば釈迦みたいな思想・存在だ、とか堂々と抜かす人までいる。
臭い。自分の立場を少しでも大きく見せたい割には特に努力もせず、そのくせそこを突かれるとぎゃあぎゃあ喚(わめ)く。
揺るぎない立場があると思えるなら、それに見合った堂々とした(毅然・きぜんとした)態度を示してほしいものですね。
この記事を無視するとか(笑)。
○少しでも苦痛がある人生の絶対拒否
いや、どんだけ甘えているんだよ。どこまで赤ちゃんなんだよ。本当に情けない。
人生に苦痛があるのは当然だろうけど、だからなんで人生の完全拒否に繋がるのか、理屈がぶっ飛んでないか?
自分もそれなりに大変な人生送ってきたけど、自分や社会に対しての希望は捨てていないし、努力しているし(努力と認識しないほうが上手くいきやすいので「頑張っている」と言い換えたほうがいいかもしれないけれど)。
まあ、苦労・苦痛が天からの授かりものかどうかはともかく、それすらエネルギーに変えようとは思っています。
自分は統合失調症で12年くらいパーになったけど、おかげで苦しみに慣れたり、いなしたりする術を学んだりしました。
努力したくてもできなくなった分、だいたい服薬して治るか調子が元に戻ってきた今は、今まで損した分を取り戻そうと躍起になっています。
まあ、元々書い人個人のポテンシャルが高めだと本人が思い込んでいるため、前向きだというフシはあるけれど。
○『恩義』の発想がなさすぎる
いろいろな人に助けてもらって、今の自分があるという、当たり前の考え方ですね。
はじめからなんでも出てくる環境に、要するに甘えられる環境にいた人たちだからなのかもしれませんが、反出生主義の一部の人たちは、(すでに料金を支払った)『お客様』の発想、思考回路で生きているようです。
出てこねーから。だいたい全部有料だから。
タダだったのは、子どもだったからとか障がいがあるとか特別な事情を抱えている人たちの話だから。
書い人は障がい年金はもらっていますが、ほとんど使っていません(親に強く管理されているというのは大きいですが)。生活費は親持ちなので、なんとかして自立すべく頑張っています。
お金の管理に厳しい、というよりは思考停止で「老後のためにとっておけ!」などというような感じ(書い人がこのまままともに働かないまま一生を終えるとでも思っているんですかね? 決めつけんな!)の親には不愉快さがありますが、それでも親孝行はしたいです。
まずは、金銭的な自立などですかね。ブログを育てていきたいですが、どうなるかな?。
楽して稼ごうとはしていません。というか、そんな商売ないわ。
他には障がい者向けの(B型)作業所で働いていますが、収入はまあ「ないよりはマシ」レベルです(言いづらいけど、事実だしなあ)。
○苦痛ばかりしかないという思い込み
その割にはゲームをしたり、その他、享楽(きょうらく)を貪(むさぼ)っているようで……。
やはり、
幸せ→あって当然すぎて気づかない
不幸→なんであるんだちくしょう!
という思考回路な気がします。
ただの日常を維持するだけで、どれだけのエネルギーやら、様々な職業の人の仕事があるんだとか、考える機会がなかったんですかね。
書い人的には、日常を当たり前と思うことは恐ろしいです。
イチからあなたのそのスマホを組み立ててOSのプログラミングもしてみたら? いや、書い人にもできませんけれど。
○ファッション反出生主義
序文にあえて『反出生主義ガチ勢』の方は~とあえて書いたのは、あまりにも中途半端な態度の反出生主義者が多いような気がしたからです。
本気で反出生主義(なんの主義であれ、かもしれませんが)を掲げる気があるなら、社会に向けて真っ当な方法で、長期的に意見を発信して述べていってください。
ちょっと出生主義者や反・反出生主義的な人になにか言われたくらいで凶暴になったりしないでください。
そこまで正しい理屈なら、受け入れられる土壌もあるはずですよね?
個人的には反出生主義はエキセントリックで、見ていて退屈はしなかったんですが、「完璧に正しい理屈!」の一点張りで最近は飽きてきました。
○普通に幸せですがなにか?
最後は、本当に書い人個人の感想で〆(しめ)ます。
まあ、幻聴やら認知機能の低下やらでやたらめったら不幸な(不幸に思える)時期もありましたし、通算では負け(=不幸)がこんでいる気もしますが、むちゃくちゃ刺激的な人生だったとも言えます。
退屈はおおむねしなかったですね。
不安や絶望をありえないくらい、若い時期に集中して与えられたような気もしますが、その分これからは大体の不幸が起きても涼しげでいられるような気がしています。
多分、そうなんだろうな。
不幸のほうが簡単に味わえるのは事実ですし、でもたいてい贅沢(ぜいたく)な考えから不幸は生まれているような気もします。
「俺はもっと得して良いはず」という考えはあってもいいですが、度を越すと危険かもしれません。
不幸になります。
自分は反出生主義という考え方(反出生主義者たちではなく、あくまで思想)を「面白い玩具」くらいにしか思っていませんし、蚊帳(かや)の外の人ですがまあ、思考実験をするには最適と言っていいほどの逸材(いつざい)ではありました。
楽しいですね。
この世は生きるに値するか、しないのか。
正直どっちでもよく、生きているんだからいいや、と思っている瞬間が多いのも事実です。
贅沢言わなきゃ不幸もないっすねぇ~。
言いたいことはこれが全てではありませんので、いろいろな反応を見つつ、なにか考えられることがあったら追記したいと思います。
↓個人的に大好きな本です。幸せってだいたいこんな感じでいいよなあ。
いつでも読めるように、自室の椅子の隣の本入れの上に置いてあります。
他にはなぜか(確信犯的?←誤用な気もしますが、どうでもいい)ボロッボロのギャグ漫画の『しあわせさん(『オヨネコぶーにゃん』に改題される前の古い品)』が置かれています。
ちなみに、『反出生主義 ブログ』でグーグル検索すると、自分の前の記事が一番上に出てくる……。
まあ、一部の人の声が大きいだけなんですかね、やっぱり。