自分から気付く能力のない人には、環境で人生が大体全部決まりそう、という話
どうも、書い人です。
今回は環境の重要性、特に環境によって人生が左右されてしまう可哀想な人について書いていきたいと思います。
- ○気付けない、ということの恐ろしさ
- ○『気付けない人』は、環境が悪いと残念な人生になる
- ○教えてもらうまで、なにもできない人。教えてもらったことしかできない人
- ○環境とは人間関係そのもの
- ○まとめ 『アイ・アム・サム』が本記事執筆中にちらついてしょうがなかった
- ○まとめ2
○気付けない、ということの恐ろしさ
頭(IQ、知能指数)の良し悪しがどれくらい関係するのか分かりませんが、いわゆる『人生の岐路(きろ)に気付けない人』っていますよね。
これやったら人生はどうなるんだろう、とかあまり考えない人のことです。自主性がない、自分の頭で考えて行動しない人ともいえます。
逆に、書い人は無茶苦茶考えつつ、行動もして、その行動も考えつつ修正を加えていく感じです。
自分が人生の岐路(ターニング・ポイント)に立たされていることに気付かないのはかなり深刻な病(やまい)です。病というのはあくまでも例えですが。
○『気付けない人』は、環境が悪いと残念な人生になる
露骨ですが、事実だと思っていることなので、書いておきます。
教えてもらえないと、どんどん損な役回りになる人っていますよね。
お金の稼ぎ方とか、運用方法とかを知ろうともしなかったり。お金に偏見を持っていたりとか(お金は下品なものだ、とかね)。
あるいは人間関係の構築能力に難があったり、時間の使い方を間違えていたり、いい年こいてアルバイターみたいな、その日暮らしの人生を送っていたりする人です。
○教えてもらうまで、なにもできない人。教えてもらったことしかできない人
『思考の自主性・能力』が恐ろしく低い、洗脳されやすい人ととも言えます。
気が弱い人も多そうです。他の人から馬鹿にされやすかったりとかね。
人生に不満を持っていつつも、どうしようもないと諦めている人や、能力は高くとも自分のやっていることを盲信して断固として自分の間違いを認めず、我を通そうとする人ですかね。
○環境とは人間関係そのもの
結局、書い人たった1人ではどうしようもないことなんですが、同世代や年上の人が(大抵この記事のこのタイプの人は、年下の意見は聞きいれない人が多そうです)足を引っ張らずに様々なことを教えるしかなさそうです。
底辺の足の引っ張り合いはよくある話かもですが、正直この世からいなくならないかな……、とか思っています。
○まとめ 『アイ・アム・サム』が本記事執筆中にちらついてしょうがなかった
『アイ・アム・サム』とはアメリカの映画ですが、知的障害のある主人公が障害のある友人たちと共に自身の娘の親権を得るために奮闘する話です。大分前に1度だけ観た映画ですが、障害があってもそれを前向きに乗り越えようとしている姿には感銘を受けました。
主人公のサムは環境に恵まれているし、自分から行動もしていたような(うろおぼえ)。こういう知的障害者がどれだけ実際にいるかは分かりませんが、環境も含めて幸せな人生を受け取って(勝ち取って?)ほしいですね。
○まとめ2
書きたいことが少しまとまらないうちに書いたからか、ちょっとまとまりのない、論理的に不都合があるかもしれない記事になっているかもしれないですね。反省したいです。
いつかリライトするか、記事を新しく書き足そうかな。正直、異論などの反響が欲しいですね(少し怖いですが。ツイッターは準備中ですすみません)。