【瞑想(めいそう)】人生において無駄な時間なんてないんじゃないのか、という個人的な見解
どうも書い人です。
今回は何もしない時間についての雑記になります。
自分は『何もしない』という時間がけっこう多いです(特に数年前とか。最近はけっこう減ってしまいました)。
半分、無職という理由もあるのですが、頭の中を空っぽにして雑念をはらう、という時間を大事にしている気がします。
ある種の瞑想(めいそう)みたいなものですかね。
いろいろ思索する時間を用意しているのも事実ですが、本当に何もせずボケーっとする時間もけっこうあります。
座禅を組んだりするわけではないのですが、頭のどこかで深いアイデアを考えているような、そんな気がします。
この時間は本当にただの『サボり』なのかというと、自分からするとNOです。
極端な例を挙げればフォン・ノイマンのように超難問をガリガリ解くタイプの人にはあまり必要のないことなのかもしれませんが、独創性や芸術性(自分で言うのは恥ずかしいですが)などの成果を出したければ、この『何もしない(瞑想)』というのは非常に役立つと信じています。
記事タイトルを付けたように(全く思わないわけではありませんが)、人生においては無駄な時間なんてないんじゃないのか、というのが個人的な見解になります。
雑念が出てきたときの対処法もあります。とりあえず2つ。
1つ目は、何もしないことを止めて、その雑念(問題など)について真剣に考え、解決に努める。
2つ目は、雑念の主な原因である不安などの「これからしなくてはいけないこと」ではなく今までしてきたこと(雑念と同じジャンル・方向性であることが望ましい?)を正しく認めてあげる、認識してあげる、ということです。
瞑想的なのはいつの間にかするようになっていたので、完全に独学ですが、今度は本でも読んで学んでみようかと思います。
瞑想は素晴らしいものだと思っていますが、それにハマり過ぎてあんまり具体的な行動を起こさな過ぎるのは問題だよなあ、と最近反省しています。