書い人(かいと)のブログ

書い人(かいと)のブログ

現状報告・雑記を主に書いています!

【承認欲求】他人から認められる、褒められるって難しい(でも、料理に関してはすぐに褒められるな……)という話

どうも、書い人です。

自分は通っていた就労移行支援のところで自分で作ったお弁当を持ってきたり、気軽に料理の話をしたりするので、調理技術(料理)に関してはよく褒められます。

今回は人から褒められる、能力を認められるにはどうしたらいいのか、ということに重点を置いて書きたいと思います。

○自然体で『できる』ということを伝えられるものは、褒められやすい・認められやすい

例えば、書い人は小説執筆について褒められたことは基本的にありません。

実際、あまり書いてないし、具体的な目標も明確ではないし自分の執筆能力に自信もない、ということで、これは褒めろという方が難しいでしょう(悲しい……)。

しかし、料理に関しては実際に作っていることを示していますし、簡単に細かいレシピなどのテクニックをすぐさま話すことができます。

自分でもびっくりするぐらい、家族や会社の人に認められることがあり、嬉しい反面、他のことには才能がないのかな? と思ってしまうこともあります。

たぶん、自分自身気張らずに、(本項目タイトルに示したように自然体で)『(かなり)できます』、と確たる自信と共に言い切ってしまえるあたりが認められる大きな要因なのかもしれません。

○承認欲求があるものより、自己肯定感の高いものが認められる(傾向にある。事実?)

わりと、いやかなり悲しい現実・事実なんですが、自分が承認したがっている事柄(ことがら)よりも、自分で認めている事柄の方が、他人から認められたり、褒められたりします。

承認されたがるということは、自分に自信がないから『他人に補強してもらいたくて』そうしている場合が多いと思うんですよ。

逆にそういう気持ち(邪念?)がなく、事実と共に自信があるものはアピールするまでもなく言動や行動、たたずまいから出てくるため、周囲からも「そうなんだ」認められます。

才能がないよりはよっぽどマシですが、認められたいことは認められず、ただ、「できること(事実)」が認められる、ということですね。

○実例(小説執筆と料理の、書い人の実際の言動の比較)

小説執筆の場合→「小説を書いているんですが難しいですよね。うんたらかんたら(小説論や、難しかった部分を強調して言ってみる)」

料理の場合→「最近はこんな料理を作りました。味はどうのこうので、工夫した点はここです(できた事実をありのままに話す。多分地味に高度なことも半分以上無意識に言ってる)」

○まとめ1(料理・調理)

書い人の場合自覚はあまりありませんが、料理に関してはすごい人、と思われているような気がします。

というか、「料理なんてできない人はいないだろうな」くらいに(今でも)思っているんですが、実際どうなのか自問自答したいと思います(別記事として書く?)。

そんなに料理って特殊なスキルなのかなあ、とは未だに疑問ですね。

動く(実際に料理をする)までが面倒くさかったり、味付けを若干変えたり、調理環境に合わせて分量やレシピを照らし合わせて変更を加えたりするあたりが大変なのかな、とは思います。

書い人の場合は、単に美味しいご飯が食べたかったからすごく頑張った、くらいの話なんですが。やっぱりそれなりにはできるし、認められることなんですかね。

○まとめ2(承認欲求を満たそうとしないほうが良い、承認欲求の無駄?)

本当に好きだったり、才能があったりすること(分野)って、自然とできてしまうものだと思うんですよね。

承認されたい、認められて欲しいというのは努力する強い意志(意識)にもなりますが、それが認められるかはまた別の話なんでしょうね。