嫉妬ができない自分の話
どうも、書い人です。
不思議な事に、自分は嫉妬ができません。できる気がしません。
本能レベルで無駄だと理解して悟っているのかは知りませんが、とにかく本当にできません。
例えるなら生まれつき遺伝子に問題があって、腕が1本ない、とかそういう話なのでしょうか(不快になる方がいらっしゃったら申し訳ありません)。
遺伝子に入っていないのだからしょうがないよね、できない(しない)ほうが幸せみたいなんだし、良かったね、とは分かっているつもりなんですが……。
また、他人が他人に対して嫉妬する、という行為は理解しているつもりなのですが、本当に理解しているのか不安な気がするし、書い人は自分ができないことに常々興味を津々(しんしん)に持つタイプなので詳しく思索(しさく)して、まとめてみることにします。
○顔を見るだけで、その人の苦労が分かるような気がする。ほとんど誰でもいろいろな種類の苦労はしているはず。
エスパーみたいな言い方になってしまいましたが、なんとなくその人の苦労は種類ごとに顔に出ている気がします。
ちょっと見ただけで、カンが騒ぐというか。
言語化できるほど高度なもの(能力)ではないのですが、大体皆それぞれ種類は違えど苦労している、というのが書い人の思考です。
○嫉妬というのは相手の理解不足から来るものが多い気がします。
例:(一般的な考え)→(書い人の考え)
自分より頭が良い→頭が良いと理解者が少なくて孤独なのかもしれないな、てか孤独だろ。
自分よりルックスなどが良さそう→かっこいい!(素直にこう思う)でも嫉妬する人が多くて大変なんだろうな。少しでも他のところに難があったらいろいろ言われそうだし。
絵が上手、絵の天才→どんな頭の構造をしているのかなあ。手先も器用なんだろうか(完全に自分とは切り離して考えている)。
文章、小説が上手、天才→美しすぎる! でもここまでできると分かり過ぎていろいろと辛いんじゃない?(頭が良いとか、普通の作品が楽しめない、とか)
○劣等感について
いや、劣等感がないわけではないですよ。でも、それは自分自身との闘いであって、他人との競争ではありません。
ちょっとネットで調べた(ググった)のですが、劣等感というのは克服できるもの、というものであるらしいです。
自分にもできるはずだ、という気持ちや考えがあるからこそ、理想と現実とのギャップで苦しむことになる、ということらしいです。
嫉妬というのは罪深いことだよな、と書い人は思います。
自分より優越した相手の一部分だけを見てその人の苦しみ(才能に恵まれてしまったが故(ゆえ)の苦労・苦悩さえある)には目もくれない、そんな考え方は愚か者も極まっているな、と思っています。
不甲斐(ふがい)なさに打ちのめされることは人生で何度もありました。劣等感があり嫉妬はしない(できない)。なかなか興味深いですね。
○嫉妬なんて、するだけ無駄
・冒頭に自分は『遺伝子レベルで嫉妬するマインドがない』みたいなことを書きましたが、もしかすると少し違って、『遺伝子レベルで嫉妬心に対する対抗手段がある』が正解なのかもしれません。
人の顔やしぐさ(特に顔)を見て、その人の人生を直感的に見通す・抽象的(ちゅうしょうてき)ではあるが感じ取る、変な能力(これは思い込みかもしれませんが。でも、苦労していない人なんてまずいません)。
人の優れた才能や能力を感じた、目にしたときに、その人の背景などを瞬時に構築する能力(これも思い込みかもしれませんが)。
自分自身の能力をしっかりと確認し、心(脳)の微調整を行う、他者と離別(隔絶・かくぜつ)する能力。
○自分は嫉妬しない天才なのかもしれない(何の役に立つのかは分からないけれど。地味な才能・能力)
自分が嫉妬しない能力・才能といっても良いならそれは昆虫並みです。遺伝子にそれが刷り込まれているからそうなっているだけです。
働き蜂が蜂の巣を作ったり、アリが巣にエサを持ち帰ったりとか、IQ(その他一般的に言われている才能)とは全く関係がない感じですね。
これはひょっとして才能かも! と最近になって気付いた次第です。でも、何に役立てられるかはまだ分かっていません。
とりあえず、嫉妬心に苛(さいな)まされる(←書いているだけで気分が悪くなります)ということがないので、他人に対して無為(むい)な時間を過ごさずに済み、自分のことに集中できる、といったあたりでしょうか。
嫉妬心をバネにして努力する、ということもありませんが(これは欠点に為り得るような……)。