(社会とかの)常識にとらわれたくない、とか言っている時点でその常識にとらわれているという話
どうも、書い人です。
他人(よそ)様のブログを見て、「自分は常識にとらわれないぞ! 常識なんてゴミだ!」みたいに声を大にして書いていた人がいたことに違和感を覚えたので、雑記メモしておきたいと思います。
- 自分(書い人)の場合、自然体で常識を無視し過ぎていた
- 常識的な人、またはそれにとらわれている人
- 社会的な常識にとらわれない、ということ(概念・がいねん)を意識し過ぎな人について
- まとめ 社会的な常識・枠にとらわれずに社会的に生きることもできる、生きてみよう
- 注意! 『社会にとらわれない=不真面目に生きる』、ということではない!
自分(書い人)の場合、自然体で常識を無視し過ぎていた
自分は一般常識というのはあるはず(の方)なんですが、社会に出て働くとか、結婚して子どもを作るだとかに関しては完全にスルーしていたほうです。
なんか興味がなかった。社会貢献はしたいけど、一般的な職に就ける気はあまりしなかったし、病気がそれを後押ししたのも事実。
常識的な人、またはそれにとらわれている人
まあ、それもいいじゃないの、と書い人は思います。
個人的には後者(常識にとらわれる)のは絶対にごめんですし、視野の狭い人だな~とは思いますが。
頭が固いというか、カッコ悪い。押し付けてくる人は非常に迷惑で、こちらのやる気を失くさせますし。
社会的な常識にとらわれない、ということ(概念・がいねん)を意識し過ぎな人について
なんだかんだ言って社会的に生きられる人に未練や憧れがあるんじゃないですかね。
同時に枠にとらわれない生き方を目指している過程の人、という印象を持ちます。
まとめ 社会的な常識・枠にとらわれずに社会的に生きることもできる、生きてみよう
自分自身が新しい社会の模範(もはん)となるんだ! くらいの気持ちで生きても良い気がしますね。
特に無茶苦茶に(死ぬほど)苦しんでいるor苦しんだことのある人たちは特に。
枠にとらわれない生き方をしていたら、それのことに憧れる人が増えて、その生き方が社会のスタンダードになってしまった、とかがあったら最高にカッコイイじゃないですか。
少なくとも書い人はそう思います。
注意! 『社会にとらわれない=不真面目に生きる』、ということではない!
書い人は基本的に真面目な人間です(冗談も好きですが、それは雑談話の範囲内ですね)。
真面目に生きて、今の社会と『そり』が合わないのならしょうがないよね、と一般的な人生を諦めて別の人生を歩むのは仕方ないことだと思います。
『別の人生を歩む』ことに気付いて、人生そのものを諦めないことはとても重要だと思いますね。ミソというか。
どういうやり方をしたら、自分は人間社会で生きていけるのか、社会貢献できるのかなどを真面目に考えるのは非常に大事。
それが他の人の何倍も時間が掛かる事だったとしても、非常識と言われることだろうと、本当に大事な事なんです。