書い人(かいと)のブログ

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現状報告・雑記を主に書いています!

統合失調症と自分

どうも、ブログ主の書い人は統合失調症です(精神障害2級手帳あり)。

自分の病気についてまとめてみました。

興味のある方はおっかなびっくりでも良いので読んでいただけると幸いです。

◎発症年齢と高校時代

多分、15歳くらいから発症していましたね。高校入学の前後くらいからです。

私立の進学校だったのですが、入学当初から全然勉強ができませんでした。

自分は中学校の卒業時にそれなりに仲の良かったクラスメートやその場に居合わせた下級生とかに当時持っていた遊戯王カードなんかを配ったりして、『高校に入ったら勉強に集中するぞ!』モードに入っていました。

怖いのはその後ですね。全く勉強についていけない。自分は中学と違って高校は難しいだとか、進学校だからだ、とかPSPを買ってしまったからだ(やっぱり遊ぶんかい)とか思っていましたが、それにしても極端にできない。

気付けば毎年終りの補習の常連で、3年間3回、補習を受けました。

単位が取れない分を補うため、という名目みたいでしたが、他の人が(自分じゃないですよ)補習テスト中にカンニングの道具を用意していたのがバレて、これは終わったでしょ、と思ったものの反省文を書かされるだけで済んでいました。怒られはしたのでしょうが、要するに高校側に落第させる気(意図)は一切なかったようです。

つまるところ、高校(とそれ以降)の自分は認知機能が確実に落ちていました。統合失調症の主な症状で、自分の中では初期症状です。

1日くらいしか学んだことが持たず、先ほどの補習ではぶっちゃけ非常に良い成績を取ることもありました。思えば、普通に勉強していたときより、高校のテストは一夜漬けで臨んだときの方が成績はいくらかマシだったような……。

高校2年くらいの時が勉強が一番難しく(理系コースを選びました)、テストの総合成績で最下位を取ったこともあります。

むしろ最下位じゃなかった時に、『自分より下が居るんだ……』と、のほほんと驚くくらいに落ちていました。

ちなみに中学では平均か少し上くらいの成績で、やればできる子でした。高校のころは『やってもできない子』に成り下がっていましたが。書いていて苦しい(笑……えない)。

その後。成績を最下位クラスで高校をお情けで卒業しました。

大学には受かるはずもないのでニートになってました。できることといえば料理くらい。小説(ライトノベル)も書いたりして新人賞に送ったりもしましたが、4~5回くらい一次審査で落ちています。門前払いです。

何をしたらいいのか分からず悶々とした日々を過ごしていると、余計にひどい出来事が起こりました。幻体験と幻聴です。

◎卒業後、その後、急性症状との闘い

幻体験(幻覚)を感じたり、幻聴が聴こえる(というか、頭の中で自分の思考が暴走する感じ)になったのは2010年以降くらいからでしょうか。

以降、2012年の初めくらいまで地獄が続きます。勉強ができない高校時代も大概(たいがい)地獄でしたが、今回はそれに輪を掛けてひどいです。

幻体験などについてあまり具体的に書くのは正直面倒なのですが(自分でもわけワカランし)、とりあえずひどかったのは思考を乱される事ですかね。

勉強どころか、日常生活を送れていたのが不思議なレベルで、自分の思考に+α(アルファ)で妨害電波みたいに思考が流れ込んできます。

再発したくはないので、あまり思い出して書きたくないのですが、書かないと説得力がないので書いておきます。

それでも頑(かたく)なに自分は病気だとかは思いませんでした。

今の自分からすると不思議でしょうがないのですが、たぶんこの『病院に行ってはいけない』みたいな感覚や気持ちも症状だったように今では思います。

『自分は普通なんだ』みたいな気持ちがわずかでもあるとそれを増大させる感じの思考が流れ出て悪化させる、みたいな。嫌な病気です。

睡眠時以外は『常に(強制)思考』で体重が落ちました。たしか身長160センチくらいで体重45キロだったような……。

げっそりって表現がここまで合うのも珍しいです。

その後不満などが爆発し、自分で警察に行きました。人生の不満などを述べていると警察から『こいつはやばい』みたいな感じになり、その後3ヶ月の措置入院になりました。

2013年の春前くらいまで(?)精神病院に入院していました。前科とかはないので安心(?)してください。

◎入院中(精神病院)の出来事

不思議なことに、警察に行ったあたりから「もう終わりだ」との幻聴が聴こえてきて、その後すっぱり幻聴は(投薬前から)なくなりました。

環境が変わったからかもしれないとも思いましたが、病院に行っても退院して元の実家に居てもなにも声は聴こえてこなくなりました。まあ、良かったですけど。

入院中は話の合う人とよくサブカルチャーなどの話をしていました。わりと単調な日々で、辛かったですね。

最初の2週間くらいはテレビさえない何もない部屋に閉じ込められて(措置入院だから?)食事とトイレ、睡眠だけをとる日々。

・それはそれでむちゃくちゃ辛かったです。トイレの水も自分では流せないようになっていましたし(排泄を確認した後、職員が流す仕組みになっていました)、寝る時は全身を動けないように(暴れないように?)固定されました。

その後は少し解放された空間に出されたんですが、老人しかいない特別病棟で話し相手もいないので、余計辛くなりました。

追加で薬を貰ったりしましたが、ここで精神が安定しなかったのは娯楽などが一切ないからだと思います。改善して欲しいですね。

その後一般病棟(?)に移されて、自分と同じような若い人やだいぶ年上だけど話の合う大人と会話ができるようになり、かなり楽になりました。

相変わらず暇でしたが、まあ何とかして3ヶ月を過ごし、事務的に退院することになりました。

◎退院後

発症からひたすら辛い日々を送る書い人でしたが、一番辛かったのが退院後しばらく(1年くらい?)経ってからですね。

本当に何もない。病気は治ったような気がするけれど(正確にはまだ回復しきっていませんでした。それについては後ほど)、勉強は相変わらずできないままだし、治った(気がしていた)故に、何もないことに気付かされて死にたくなりました。

幻聴とかもないんですが、今度は孤独感というか、話せる相手も基本居ないし、無力感がひたすら漂っていました。

実は、心のどこかで期待していたんですよ。「この苦難を乗り越えた先にはなにか(良い事が?)がきっとあるはずだ」、と。

でも本当に何もない。できないことはできないままだし、才能なしが家に居るだけ。

虚無感に殺されそうになり、実際自殺も考えたり、いろいろしたりしましたが、まあ怪我も後遺症もなく何も問題ありません。

死ぬ才能すらないんだなあ、とすら思うところにまで落ちていました。

ご飯だけはよく食べて、このあたりからどんどん太りました。最高体重は64キロで、今は少しだけ痩せました。

◎27歳になってからの変化

本当に変化したのは27歳の半ばくらいからですね。

前から興味あったけど、認知機能の低下で全く手も足も出なかったC言語などのプログラミングをやってみて、それなりにできるようになっていました。

その後、勉強をやりなおそうと数学や日本史(数学の本は購入、日本史は家族から借りました)をとりあえず手始めにやってみましたが、数学の方は10日くらいで100ページ、すいすいと進んでしまいました。

それ以降の勉強は抑え気味ですが、何故か理解力が増していました。正確には、発症の前に戻ってたような。
記憶力もまあまあ、あります(こちらはまだ完全復調ではないような……)。

それまでは高校卒業くらいからの幻聴などからが発症だと思っていたのですが、どうやら勉強ができなくなっていた高校時代も怪しいな、と。
というか絶対にその頃から病気だった、と思い、確信しました。

発症から約13年(多分)、まあ今のところの目標は一般就労とブログを続けること、そして勉強ですかね。

大学へも行ってみたいのですが、もう親に負担は掛けたくないので、自分で学費(など)を貯めたいです。

まあ、その前に散々だった学力を取り戻したいですが。

◎これからについて

28歳現在、これからについてはまだ分かりません。

とりあえず、能力が戻ったか、戻りつつあるのは嬉しいですが、一番勉強すべきときに勉強できなかったのは本当に運がなかった、と思っています。気合いとかじゃどうしようもないし。

自分のこの病気を例えると精神力が100ポイントあったら100のダメージ、200ポイントあったら200のダメージ、300ポイントあったら300のダメージ、みたいなFATEのゲイ・ボルクの(補正・上乗せダメージ)例えみたい(ややマニアック)なダメージ・攻撃を与えてきます。本当につらかった。

・薬に関してはアリピプラゾールOD錠などを飲んでいます(エビリファイという薬のジェネリック版)。ちゃんと毎日欠かさず飲んでいます。