知能が高い(知性がある)ってある種の暴力なのかな、と思った話(加害妄想?)
どうも、書い人です。
人間、誰しも他人との能力差、才能の差、知能の差などに打ちのめされた経験があると思います。
今回はその中で、知性に焦点を当てて(フォーカスして)話を進めていきたいと思います。
○学習塾(公文式)で2学年くらい先まで勉強をしていたら、学校の勉強では苦労はしなかった話
自分が中学の終わりくらいまで通っていた『公文式』では算数・数学、そして国語を主にしていましたが、それなりのスピードでやっていて、2学年くらいは先取りで勉強ができていました(公文式は学習スピードに応じて年齢関係なしに学習の内容が決まります)。
「どうせ、今の学校(制度)には飛び級もないしな」と思っていたのでこれでも控え目の努力でした(上には上がいて、医者の息子らしい別のクラスのY君は4年分ぐらい? 先取りしていました。「なんでそんなにできるんだろう? サイボーグなのかな?」と思った時期もありました(笑))。
無論、今の学校の勉強を先取りしているのですから、学校の勉強(特に算数や数学)ではいわゆる『俺TUEEE!(俺強い)』を発揮して、正直他のクラスメートから嫌われていたんだろうな、と思いました。
まあ中途半端な努力しかしていなかったし、電子ゲーム(主にGBA・ゲームボーイアドバンス)にもうつつをぬかしていたりしましたから、なおさらです。
○知性による暴力?
同じ公文の教室に通っていて、自分より学力より低い人からは逆恨みされたりもしましたね。
勉強を教えてあげたりもしましたが、かなり自分(書い人)のことについて悪口をボロクソに言っていたらしいです(姉も通っていたので、自分より遅く帰宅した姉から伝わりました。姉はその事に対してかなり怒っていましたね)。
まあ書い人自身、「中学生で九九ができない人なんていないよなー」みたいなイヤミを、悪口を言った当人に言ったのは悪かった。
失礼だし自分自身恥ずかしいことをしたな、と今でも反省していますが。
他にも2人組の女子にしばかれたりとかもありました(小学生時代?)。
その1人の親などが近所に住んでいて、20代後半になってからも1回だけ顔を合わせる機会があったのですが「げ」と一言言われ、自分はため息一つついて自分の家の玄関内(内玄関?)に入りました。
昔からゴミみたいな性格しているなーと思いましたが、未だに逆恨みかなにかをしているあたり、相当救いようのない人生を送っているようですね。つらい(?)。
きっとそういう人は、他の方にも同じような態度であることも多そうですね。
嫉妬深かったり、執念深かったり、簡単に逆恨みしたりとか。関わり合いになりたくないですね。なってませんが。
そういう意味で高い知性というか、知的能力の差というのはかなり劣等感や差別感覚を生む要因のようです。
そもそも人間を表す『ホモ・サピエンス』という言葉自体『賢い人間』という意味らしいですし、パスカルという哲学者は『人間は考える葦(あし)である』という言葉を残しました。
知性がどれだけ重要か、というか人間にとって知性は最重要なものなのだといったことを両者とも示しています。
ざっくりまとめると、『頭が良い、知能差がある』ってある種の暴力だよな、と思った次第です。
フォン・ノイマンの生涯 (朝日選書)