天才は好きだが、努力は大事だよな、と言う話
どうも、天才大好き(ただし、ある程度以上性格がまともな人に限る)、書い人です。
今回は努力と才能について書きたいと思います。よくネットで議論される話ですね。
分かりやすさ重視であえて努力という言葉を使っていますが、自分の言葉としての努力は『練習』、『精進』、『頑張る』といった意味合いも含んでいます。
努力という言葉や概念(がいねん)が嫌いな人は、別の言葉に頭の中で変換しながら読んでいただけると幸いです。
けっこうデリケートな話題なので、書い人自身びくびくしながら書いています。あんまり怒らないでね。
◎努力と才能にまつわる極論に対する自分なりの意見(→以降が自分の意見)
いくら努力しても才能がなければ無駄(エジソンの有名なことわざの本当の意味)→努力することで得られることは多いし(後述)、目標に向かって努力すること自体が楽しく、そもそも努力と思わないレベルの人もいる(それは努力じゃない、論点ずれてる、という意見もあるかもしれませんが)。
努力しても天才には勝てない→なぜ勝つ必要があるのか。自分が上達したり社会に貢献したりすることが大事なのであって、努力というのはそういうもの。
◎努力(別の言い方でも良い)で得られる3つのメリット
○本気の努力は楽しい
無我の境地というか、まさしく無我夢中で集中している状態のことですね。
これは経験上すごく楽しいです(フロー状態など)。雑念がないほど努力できたら、少なくとも書い人は幸せです。
努力って呼ばない域の話な気もしますが。
○1つのことについて努力してきたことで他のことにも応用が利く
前提として、『つぶしがきかない』(応用にならない)というものもあるのかな、とは思いますが、応用が利くといえば、例えば身についた集中力とかが分かりやすいですね。
勉強をしたときも、例えば数学なんかもけっこういろんな職種で応用されています(プログラミングやら建築やら、書い人が無知なだけでもっとあるでしょう)。
自分に関して言えば、ブログを始める前に小説を書いていたのですが、構成その他の才能が全然なかったため、少なくとも分かりやすい文章を書こうとは努力していました。
けっこう読みやすい文章は書けている気がするのですが、どうでしょう?(個人的には注釈用の()が多いかなと少し反省)←既に使っている罠。
○少なくとも上達はする
よほどやり方を間違えない限り(それこそ極論並みのやり方をしない限り)、努力で成長はできます。
天才に勝つとか、世界一になれないからやだとかどうでもいいエゴや自我は捨てて精進すれば、それなりの人物にはなれるんじゃないのかな。
真剣に努力について考え、なおかつ努力し続けた人が果たして底辺に落ちるのかと言えば、その確率は相当低いはずです。
◎まとめ
短い記事になりましたが、努力の大切さに気付いて頑張る人を書い人は応援します。
自分は病気で努力どころじゃなかったので、まだまだこれからかな。
応援されなくても頑張りますが、応援されたらもっと頑張るのかな?(嬉しいだけであまり関係はなさそう。ドライかよ)